2024年12月13日(金)パシフィコ横浜にて、TOMOO史上最大規模のワンマンライブが開催された。
本記事は、筆者の個人的な感想を記すものであるが、筆者は音楽に対する知識が浅いため、誤った表現が存在する可能性がある。また、MC等についてはうろ覚えの部分や意訳も含まれているが、温かく見守っていただきたい。
なお、本記事は5,000文字近くに渡った、下記記事の軽量版である。こってりした記事が読みたい方は、下記記事をご高覧いただきたい。
https://kitzakki.hatenablog.com/entry/2024/12/15/172309
4.Friday・5.レモン
MCにて、『12月は一番暗い季節だけど、だからこそおうちやお店のイルミネーションが明るく感じられる季節だなって思っている。Fridayとレモンにはそんなイメージがあります。』と語っていた。それを聞いて意外に感じた。改めて両曲の歌詞を見ても、12月(冬)を連想させるようなワードは含まれていないと感じる。つまり彼女のイメージとは「冬」の方ではなく、「暗闇で輝く光」の方なのではないかと考えた。両曲に共通するのは、若干の暗さが滲む歌詞でありながら、どこか明るい印象を受けられる。その部分をイメージしているのではないだろうか。
15.Should be
それまでの他の曲と比べて、明らかに1・2番のサビの声量が意識的に抑えられているのが素人目にも感じ取れ、『あぁ、これはラスサビでえげつないものが来るぞ』と身構えていたのにも関わらず、その腕組を吹き飛ばすほどの音量に鳥肌が立ち、正に圧巻であった。
スーパースターとShould beを終えた後のMCにて、『ここにいるみんなや、ここにいないみんな、人知れず戦っている人たちに向けて歌いました。』と言っていて、心が震えた。続けて、『そろそろもっと盛り上がりたくないですか?立ってもいいですよ!?』と言われ思わず笑ってしまった。
16.オセロ・17.Ginger・18.Present
全員で立ち、行うクラップはTOMOOの歌声と絡まり心地よかった。3曲終えたところで、彼女は『満足したんで、座っても大丈夫ですよ』と言い放った。それに従順に従い腰掛ける自分や観客たちがTOMOOに振り回されているようでなんとも可笑しく、シュールで楽しかった。
続けて『高いところを目指すときほど、上へ上へ!と向かうんじゃなくて、下へ下へを意識するといいと思う。』と語った。例えとして、「建築」が目に浮かんだ。建物を建てる際、屋根はどうしようか、外壁はなににしようかと(上の見える部分)考えるが、実際には基礎(下の見えない部分)がしっかりしていないと、建物は簡単に崩れてしまう。そして、物理的な上下だけではなくて、心理的な話もしているのかなと感じた。上昇志向を持つときほど、自分の足元(弱点)をしっかりと捉えて、行動する。ということが大切なんだと語っている気がした。
19.高台
この曲を演奏するにあたって。TOMOOの手は2度も止まってしまった。そうして彼女は言った。『(私って)こんなにも脆い人間なんだよ、しかと見るといいよ。』それを聞いて筆者は息を飲んだ。一見すると、同情的な渇いた笑いを誘うような自虐的な言葉である。だが、とても自虐的には聞こえなかった。むしろTOMOOという人間の芯の強さに魅せられたのである。
人間は、ミスを犯した際に本心の言葉が出ると思っている、彼女はそんな状況下で、自身の脆さ(≒弱さ)を自己開示したのである。
これは、容易なことではない。筆者がミスをした際には、「久しぶりだったし」と言い訳に走ってしまうだろう。だが、彼女はそうはしなかった。自身の脆さとしっかりと向き合ったのである。
そして逆に言うと、「2回も止まった」ということは、「2回も止まれた」ということである。彼女も途中で、『そのまま(ミスしたまま)行ってもよかったんだけど~』といった。だが、逃げることなく、『どうしよう弾けない!』と言いながら、立ち向かった。恥やプライドではなく、自身の曲をしっかりと届けたいという思いをもって我々に向き合ってくれた。これは、本当に弱い人間にはできない芸当であろう。そこに、TOMOOとしての矜持を感じられた。
その人間性に我々は魅せられ、好きになったのだろう。
【武道館へ】
映像ではこれまでのTOMOOの活動の記録の映像と共に、彼女の語りも入っており、その声は小さく震えているように聞こえた。
【終演へ】
最後に、彼女はこう言った、『次もあるから、次の次もあるから。また、いつでも会いましょう。』
その言葉は、「いつでもまたライブに来てね!」とも聞こえたし、仮に武道館やライブに行けなかった・会えなかったとしても、「イヤホンの中でいつでもまた会おうね!」と言っているようにも聞こえ、アーティストだなぁと感じた。
【終わりに】
ライブの終盤にて彼女はこう問うた、『なんで私の曲をこんな大事に聴いてくれるんだろう』
そんなのは単純である。好きになったからだ。
ではなぜ好きになったのか、別記事の「夜明けの君へ」の考察においても若干触れているとおり、完璧な人間などほとんどいないだろうが、完璧に近い人間は少なからず存在するだろう。だが、(悪い意味ではなく)TOMOO自身が完璧じゃないから惹かれるのだ。応援したいと思わずにはいられなくなる。等身大の叫びに耳を傾けたくなる。そしてなにより、TOMOOの音楽そのものが我々を照らしてくれる。自分を肯定してくれるような、隣にそっと座って、手をぎゅっと握ってくれるような、正気に戻してくれるような優しさと温かさが音楽・言葉の節々に滲み出ている。聴いてあげているのではない、聴きたいのだ。
最後まで、こんな拙い文章に付き合っていただき。本当にありがとうございます。
今度は、武道館でお会いしましょう!