はるかぜのたより

東乃 温風(はるの はるかぜ)と申します。駄文ではありますが、好きなことをだらだらと書き連ねていきます。

TOMOO”Anchor” 軽量版<脆さ=弱さではない 等身大の強さとは>


 2024年12月13日(金)パシフィコ横浜にて、TOMOO史上最大規模のワンマンライブが開催された。
 本記事は、筆者の個人的な感想を記すものであるが、筆者は音楽に対する知識が浅いため、誤った表現が存在する可能性がある。また、MC等についてはうろ覚えの部分や意訳も含まれているが、温かく見守っていただきたい。

 なお、本記事は5,000文字近くに渡った、下記記事の軽量版である。こってりした記事が読みたい方は、下記記事をご高覧いただきたい。

https://kitzakki.hatenablog.com/entry/2024/12/15/172309

 

 

4.Friday・5.レモン

 MCにて、『12月は一番暗い季節だけど、だからこそおうちやお店のイルミネーションが明るく感じられる季節だなって思っている。Fridayとレモンにはそんなイメージがあります。』と語っていた。それを聞いて意外に感じた。改めて両曲の歌詞を見ても、12月(冬)を連想させるようなワードは含まれていないと感じる。つまり彼女のイメージとは「冬」の方ではなく、「暗闇で輝く光」の方なのではないかと考えた。両曲に共通するのは、若干の暗さが滲む歌詞でありながら、どこか明るい印象を受けられる。その部分をイメージしているのではないだろうか。

15.Should be

 それまでの他の曲と比べて、明らかに1・2番のサビの声量が意識的に抑えられているのが素人目にも感じ取れ、『あぁ、これはラスサビでえげつないものが来るぞ』と身構えていたのにも関わらず、その腕組を吹き飛ばすほどの音量に鳥肌が立ち、正に圧巻であった。
 スーパースターとShould beを終えた後のMCにて、『ここにいるみんなや、ここにいないみんな、人知れず戦っている人たちに向けて歌いました。』と言っていて、心が震えた。続けて、『そろそろもっと盛り上がりたくないですか?立ってもいいですよ!?』と言われ思わず笑ってしまった。

 

16.オセロ・17.Ginger・18.Present

 全員で立ち、行うクラップはTOMOOの歌声と絡まり心地よかった。3曲終えたところで、彼女は『満足したんで、座っても大丈夫ですよ』と言い放った。それに従順に従い腰掛ける自分や観客たちがTOMOOに振り回されているようでなんとも可笑しく、シュールで楽しかった。
 続けて『高いところを目指すときほど、上へ上へ!と向かうんじゃなくて、下へ下へを意識するといいと思う。』と語った。例えとして、「建築」が目に浮かんだ。建物を建てる際、屋根はどうしようか、外壁はなににしようかと(上の見える部分)考えるが、実際には基礎(下の見えない部分)がしっかりしていないと、建物は簡単に崩れてしまう。そして、物理的な上下だけではなくて、心理的な話もしているのかなと感じた。上昇志向を持つときほど、自分の足元(弱点)をしっかりと捉えて、行動する。ということが大切なんだと語っている気がした。

 

19.高台

 この曲を演奏するにあたって。TOMOOの手は2度も止まってしまった。そうして彼女は言った。『(私って)こんなにも脆い人間なんだよ、しかと見るといいよ。』それを聞いて筆者は息を飲んだ。一見すると、同情的な渇いた笑いを誘うような自虐的な言葉である。だが、とても自虐的には聞こえなかった。むしろTOMOOという人間の芯の強さに魅せられたのである。
人間は、ミスを犯した際に本心の言葉が出ると思っている、彼女はそんな状況下で、自身の脆さ(≒弱さ)を自己開示したのである。
これは、容易なことではない。筆者がミスをした際には、「久しぶりだったし」と言い訳に走ってしまうだろう。だが、彼女はそうはしなかった。自身の脆さとしっかりと向き合ったのである。
そして逆に言うと、「2回も止まった」ということは、「2回も止まれた」ということである。彼女も途中で、『そのまま(ミスしたまま)行ってもよかったんだけど~』といった。だが、逃げることなく、『どうしよう弾けない!』と言いながら、立ち向かった。恥やプライドではなく、自身の曲をしっかりと届けたいという思いをもって我々に向き合ってくれた。これは、本当に弱い人間にはできない芸当であろう。そこに、TOMOOとしての矜持を感じられた。
その人間性に我々は魅せられ、好きになったのだろう。

【武道館へ】

 映像ではこれまでのTOMOOの活動の記録の映像と共に、彼女の語りも入っており、その声は小さく震えているように聞こえた。

 

【終演へ】

 最後に、彼女はこう言った、『次もあるから、次の次もあるから。また、いつでも会いましょう。』
 その言葉は、「いつでもまたライブに来てね!」とも聞こえたし、仮に武道館やライブに行けなかった・会えなかったとしても、「イヤホンの中でいつでもまた会おうね!」と言っているようにも聞こえ、アーティストだなぁと感じた。
 

【終わりに】

 ライブの終盤にて彼女はこう問うた、『なんで私の曲をこんな大事に聴いてくれるんだろう』
そんなのは単純である。好きになったからだ。
ではなぜ好きになったのか、別記事の「夜明けの君へ」の考察においても若干触れているとおり、完璧な人間などほとんどいないだろうが、完璧に近い人間は少なからず存在するだろう。だが、(悪い意味ではなく)TOMOO自身が完璧じゃないから惹かれるのだ。応援したいと思わずにはいられなくなる。等身大の叫びに耳を傾けたくなる。そしてなにより、TOMOOの音楽そのものが我々を照らしてくれる。自分を肯定してくれるような、隣にそっと座って、手をぎゅっと握ってくれるような、正気に戻してくれるような優しさと温かさが音楽・言葉の節々に滲み出ている。聴いてあげているのではない、聴きたいのだ。

 最後まで、こんな拙い文章に付き合っていただき。本当にありがとうございます。
 今度は、武道館でお会いしましょう!

 

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TOMOO”Anchor”<脆さ=弱さではない 等身大の強さとは>


 2024年12月13日(金)パシフィコ横浜にて、TOMOO史上最大規模のワンマンライブが開催された。
 本記事は、筆者の個人的な感想を記すものであるが、筆者は音楽に対する知識が浅いため、誤った表現が存在する可能性がある。また、MC等についてはうろ覚えの部分や意訳も含まれているが、温かく見守っていただきたい。
 なお、本記事は5,000文字近くに及ぶ。自分語りを飛ばしてもっとサクッと読みたい方は、半分以下の文字数に抑えた下記記事をご高覧いただきたい。

https://kitzakki.hatenablog.com/entry/2024/12/15/213041

 

 

【セットリスト】


1.エンドレス
2.Super Ball
3. 酔ひもせす
4.Friday
5.レモン
6.あわいに
7.ネリネ
8.雪だった
9.ベーコンエピ
10.まばたき
11.ロマンスをこえよう
12.Cinderella
13.Grapefruit Moon
14.スーパースター
15.Should be
16.オセロ
17.Ginger
18.Present
19.高台
-アンコール-
20.新曲
21.夢はさめても
-再アンコール-
22.夜明けの君へ
※X(旧Twitter)上で有志の方々がまとめられたセットリストを引用させていただきました。有志の皆様いつもありがとうございます。

1.エンドレス

 まさかの、1曲目から「エンドレス」であった。ライブの数日前よりX(旧Twitter)にて1曲目の予想が立てられていたが、「エンドレス」を予想していた方は、少なかったのではないだろうか。リリース後初のワンマンライブにて、1曲目に持ってきたことに彼女なりの覚悟を感じた。
 筆者自身、なんでこんなに高い旅費をかけてライブに行くんだろうと、移動中にふと思う瞬間があった。だが、『あぁ、これを見たいから来ているんだよな』と確かに思わせてくれるような、そして、1曲目からこんなに飛ばして最後まで彼女の体力が持つのか不安になるほどの圧倒的な声量と感情が混ざった音楽が目の前にはあった。

 

2.Super Ball

 曲が始まるまでの演奏がとにかくかっこよかった。ピアノから演奏が始まり、他の楽器と絡み合っていく時間はパシフィコ横浜にTOMOOの世界観がじんわりと、そして深く深く広がっていくようであった。
 改めて、『俯いたままで踊って』という歌詞の深みを味わえた。俯く(下を見る)というネガティブな状態のまま踊るというポジティブな行動を取るという相反するような歌詞。『あなたはあなたのまま、等身大のままでいいんだよ』と聞き手の個性を肯定し、温かく包み込んでくれる素晴らしい応援歌である。

 

4.Friday・5.レモン

 MCにて、『12月は一番暗い季節だけど、だからこそおうちやお店のイルミネーションが明るく感じられる季節だなって思っている。Fridayとレモンにはそんなイメージがあります。』と語っていた。それを聞いて意外に感じた方も多かっただろう。筆者ももれなく、その一人であった。改めて両曲の歌詞を見ても、12月(冬)を連想させるようなワードは含まれていないと感じる。つまり彼女のイメージとは「冬」の方ではなく、「暗闇で輝く光」の方なのではないかと考えた。両曲に共通するのは、若干の暗さが滲む歌詞でありながら、どこか明るい印象を受けられる。その部分をイメージしているのではないだろうか。

 

6.あわいに

 この曲は、朝露を連想するような瑞々しさが溢れるものであった。間奏等にて小さい身体で全身を使って打楽器を叩いている様子は何とも可愛らしく思わず笑ってしまった。
『楽しくなる余地ばかりだ 今から』という、歌詞は瑞々しさが顕著に出ている。 曲名である「あわい」を辞書で引くと、「物と物、人と人とのあいだ」と出る。また、「余地」は、「物事をさらに行いうるゆとり。余裕。」と出る。
つまり、彼女は「あわいに」という言葉を「余地」という言葉に置き換えて歌っているのではないかと考えた。

 

9.ベーコンエピ

 やはり、この曲が特に好きな人が多いんだろうなっていうのが客席の雰囲気・温度からも感じられた。そして、今回のライブで全員が更に好きになった曲の1つであろう。
なんといっても、ラスサビ前の静寂の間が痺れた。最高のアレンジであった。

 

【Anchorの由来について】

 1.最近のライブのタイトルが水辺のものであったため、そこから連想して碇⚓が浮かんだ。
 2.師走は一年の最後でアンカー(最終走者)であるから。
 3.ここが最終到達点というわけではないが、「腑に落ちる」というように、なにかを落としたかった。(これまでの活動の中で一区切りつけたかったということか?と感じた。)

 

14.スーパースター

 この曲の前のMCにて、「冬は得意じゃないけど、空気が澄んで星がよく見えるのが好き。星は消えてしまっても私の眼に届く。音楽も星と似ていて、演奏したその瞬間はたとえ見えなかったとしても、時間をかけて私のもとに届いてくれる。そして、それを受け止めたからこそ次へと残すことができる。そんな季節にこの曲を贈ります。」と言っていたと記憶している。「贈る」という表現がなんとも彼女らしく、より一層感情が乗っていると感じた。


15.Should be

 今回のライブで最もよかった曲の一つに挙げている方も少なくないだろう。
それまでの他の曲と比べて、明らかに1番・2番のサビの声量が意識的に抑えられているのが素人目にも感じ取れ、『あぁ、これはラスサビでえげつないものが来るぞ』と身構えていたのにも関わらず、その腕組を吹き飛ばすほどの音量に鳥肌が立ち、正に圧巻であった。
 スーパースターとShould beを終えた後のMCにて、『ここにいるみんなや、ここにいないみんな、人知れず戦っている人たちに向けて歌いました。』と言っていて、心が震えた。「あぁ、この人はこのライブ会場だけではなくて、もっと広い世界を見て歌っているんだなぁ。」と余韻に浸っていると、続けて、『そろそろもっと盛り上がりたくないですか?立ってもいいですよ!?』と言われ思わず笑ってしまった。

 

16.オセロ・17.Ginger・18.Present

 全員で立ち、行うクラップはTOMOOの歌声と絡まり心地よかった。それより、Presentのクラップ難しくない?周りもずれてきててわかんなくなってしまった。
それはそうと、3曲終えたところで、彼女は『満足したんで、座っても大丈夫ですよ』と言い放った。それに従順に従い腰掛ける自分や観客たちが彼女の少女のような純粋で自由気ままな感情に振り回されているようでなんとも可笑しく、シュールで楽しかった。
 みんなが腰掛けた後のMCにて、『高いところを目指すときほど、上へ上へ!と向かうんじゃなくて、下へ下へを意識するといいと思う。』と語った。なるほどなと思った。例えとして正しいかはわからないが、建築の工程が目に浮かんだ。建物を建てる際、屋根はどうしようか、外壁はなににしようかと(上の見える部分)考えるが、実際には基礎(下の見えない部分)がしっかりしていないと、建物なんて簡単に崩れてしまう。それは一般の居宅を建てる際もそうだし、どでかい都会のビルを建てる際も同じだと思う。そして、物理的な上下だけではなくて、心理的な話もしているのかなと感じた。上へ上へと上昇志向を持つときほど、自分の足元(弱点)をしっかりと捉えて、行動する。ということが大切なんだと語っている気がした。

 

19.高台

 この曲を演奏するにあたって。TOMOOの手は2度も止まってしまった。そうして彼女は言った。『(私って)こんなにも脆い人間なんだよ、しかと見るといいよ。』と言い切った。それを聞いて筆者は息を飲んだ。一見すると、同情的な渇いた笑いを誘うような自虐的な言葉である。だが、とても自虐的には聞こえなかった。むしろTOMOOという人間の芯の強さに魅せられたのである。
人間は、ミスを犯したときやパニックに陥った際に本心の言葉が出ると思っている、彼女はそんな状況下で、自身の脆さ(≒弱さ)を自己開示したのである。
これは、容易なことではない。筆者がミスをした際には、「久しぶりだったし」「ちょっと体調が悪いだけ」と言い訳や虚勢を張り自己保身に走ってしまうだろう。だが、彼女はそうはしなかった。自身の脆さとしっかりと向き合ったのである。
そして逆に言うと、「2回も止まった」ということは、「2回も止まれた」ということである。彼女も途中で、『そのまま(ミスしたまま)行ってもよかったんだけど~』といった。だが、彼女は逃げることなく、『どうしよう弾けない!』と言いながらも、立ち向かった。恥やプライドではなく、自身の曲をしっかりと届けたいという思いをもって私たちに向き合ってくれた。これは、本当に脆い人間にはできない芸当であろう。そこに、TOMOOとしての矜持を感じられた。
その人間性に我々は魅せられ、好きになったのだろう。

 

20.新曲

 アンコール後、いきなりの新曲をサプライズで披露してくれた。感情の出所について柔らかく問いかけるような温かい曲であったと記憶している。そのうち、曲について嬉しい発表ができると語っていたが、筆者は朝ドラの主題歌に抜擢されたのではないかと予想する。それぐらいされたっていいアーティストであろう。自身が行ったライブで新曲が発表されるのってこんなにうれしいことなんだね。

 

【武道館へ】

「夢はさめても」を終え、こんな楽しい時間も終わってしまったのかと喪失感に片足が浸かりかけたところ、突然映像が流れてきた。
それはこれまでのTOMOOの活動の記録の映像と共に、彼女の語りも入っており、その声は小さく震えているように聞こえた。そして、「2025年5月23日武道館」
目頭に熱いものが込み上げた。自分のことのようにうれしかった。

22.夜明けの君へ

 筆者の最も好きな曲である。「TOMOOの曲の中」という枠組みの中だけではなく、今までの人生で聴いてきた曲の中でもっとも好きな曲なのである。前回参加した、大阪"Mirrors"ではご縁がなく聴けなかったため、今回こそは聴きたい!と、他の曲を聴いている最中でもソワソワしていた一曲をついに拝むことができた。
単体で、「夜明けの君へ」についての素人の考察記事も書いているため、是非ご高覧いただきたい。

【終演へ】

 最後に、エンドレスをバックにし彼女はこう言った、『次もあるから、次の次もあるから。また、いつでも会いましょう。』
 その言葉は、「いつでもまたライブに来てね!」と言っているようにも聞こえたし、仮に武道館やライブに行けなかった・会えなかったとしても、「イヤホンの中でいつでもまた会おうね!」と言っているようにも聞こえ、アーティストだなぁと感じた。
 

【終わりに】

 ライブの終盤にて彼女はこう問うた、『なんで私の曲をこんな大事に聴いてくれるんだろう』
そんなのは単純である。好きになったからだ。(くっさいポエムみたいだが、筆者はTOMOOに影響を受けて詩も書き始めたんだからこれぐらい言わねばなるまい。)
ではなぜ好きになったのか、前述した「夜明けの君へ」の考察記事においても若干触れているとおり、完璧な人間などほとんどいないだろうが、完璧に近い人間は少なからず存在するだろう。だが、(悪い意味ではなく)TOMOO自身が完璧じゃないから惹かれるのだ。応援したいと思わずにはいられなくなる。等身大の叫びに耳を傾けたくなる。そしてなにより、TOMOOの音楽そのものが我々を照らしてくれる。決して背伸びすることなく、自分を肯定してくれるような、隣にそっと座って、手をぎゅっと握ってくれるような、正気に戻してくれるような優しさと温かさが音楽・言葉の節々に滲み出ている。聴いてあげているのではない、聴きたいのだ。

 最後まで、こんな拙い文章に付き合っていただき。本当にありがとうございます。
 今度は、武道館でお会いしましょう!

tomoo-budokan.ponycanyon.co.jp

 

 

 

 

 

 

 

 

自作詩『むち』

むち   さく:はるかぜ

むちっ

びーだまみたいな おめめ

むちっ

こぼれおちそうな ほっぺ

むちっ

ちぎりぱんみたいな おてて

むちっ

ましゅまろみたいな あんよ

むちっ

ままが すき

むちっ

ぱぱも すき

むちっ

やっぱり ままが すき

むちっ

むちっ

ぼくにむちゅう

 

 

 

自作詩『空見上げれば』

見上げれば

青 澄み渡り

雲 泳ぎだす

空 見上げれば

陽 やわらかに

風 踊りだす

空 見上げれば

日 沈みだし

朱 染まりだす

空 見上げれば

只 月明かり

星 紡ぎだす

空 見上げれば

君 横たわり

今 手を伸ばす

空 見上げれば

僕 手をかざし

明 ふたり待つ

TOMOO『夜明けの君』 素人考察

TOMOO『夜明けの君へ』 素人考察

 

【初めに】

酔った勢いでだらだらと書かせて貰っています。

解釈に違いがある場合は、是非あなた様のご意見をコメントいただけますと幸いです。

 

本楽曲は、「君」と「僕」の2人によって、確立されている。

筆者がTOMOOの中で最も好きな曲のひとつである。

TOMOOの詩的な表現と温かみの溢れる歌詞に包まれる名曲。

その温かみは、完璧でない自身を責め、生きる意味を失いかけている現代人に染み渡るであろう。

「丸い」という歌詞に、心地よい温もりを感じる今日この頃である。

 

【考察】

あの丸い月によく似た瞳が笑う

⇒「僕」が見る、「君」の姿であり、「君」の瞳を指している。

月は美しく幻想的なものであるが、「君」の瞳も同様(よく似たもの)であることを表している。

また、「丸い」という歌詞からは、温もりや優しさを連想させるものであり、月と比較していることからも、「君」が穏やかな人物像であることが想像される。

月というものとは、果てしない距離があるため、どこにいても自分自身と向かい合っているように感じるだろう。それに加えて、「笑う」という表情を読み取れていることからも、「僕」は「君」の正面に位置しているものであると推察される。

 

「めんどくさい」ってからかう声を追いかけた

⇒「君」が「僕」に対して、めんどくさいとからかっている。つまり、「僕」から「君」に対する感情や、言葉が「君」にとっては、少しむずがゆく感じているために、めんどくさいとからかっているのではないか。これは、「君」から「僕」に対する愛情表現の裏返しである。

「追いかけた」という歌詞からも、恥ずかしさのあまり、「君」が先に歩みを進めており、「僕」が追随する状態であることが、想像される。

 

 おどけたポーズも 震えるため息も 見逃せない流星(ほし)と同じ

⇒おどけた(ふざけた)ポーズも(寒さによって)震えるため息も、流れ星のように、一瞬で過ぎ去っていくものであり、どんな些細なことでも見逃せないほど、「君」は魅力的である。

 

 かっこいいって思わずにはいられなくてさ 呆気にとられて 色づいてく日々

⇒その一瞬すらも、かっこいいと感じざるを得ないものであり、「思わずに」という歌詞からも、「僕」から「君」に対する好意が意図せずとも、溢れんばかりであることが想像に難くない。

⇒その「君」のかっこよさに呆気にとられるうちに、一瞬で日々が流れていき、その日々は楽しく色づいていく。

 

 頭の中では 鳴り続けるシャッター でも少しも伝えきれてない

⇒頭の中では、そんな一瞬一瞬を忘れるまいと、目を離すことなく、シャッターを切り続けているのにも関わらず、そのかっこいいという感情、好意を少しも伝えることができていない。もどかしい気持ち。

 

ああ 今 君の光を受け取ったなら その時からもう 消えない光

⇒「ああ」には、「君」に対する感情を言葉にすることが出来ずに、思わず溢れたため息のように感じられる。「光」というのは、希望であると考えており、「君」からもらった「光」は決して、消えることのない尊い(たっとい)ものである。

 

不安も 迷いも 追い越してきた 眠れぬ夜に 届いた光

⇒不安や迷いにまみれて、真っ暗な眠れない夜にも「君」から貰った「光」が物凄いスピードで「僕」の心を満たし、希望となって届いている。

 

 怖かったのは僕だけじゃなかった 一番聞いてほしい一言ほど だれにも言えずに しまいこんだまま 開け方すら忘れかけて

⇒「僕」だけではなく、「君」も一番言いたい、心の底からの本音を誰にも言うことが出来ずに苦しみを長年仕舞い込んでおり、その期間があまりにも長すぎた為に、伝え方も忘れてしまった。それにより、伝えることができずに、より苦しみを味わっている。

 

一体いつからどこに隠れてたんだろう きっと迷子になってただけの涙

⇒「涙」を流すという行為を、直近でいつしたかどうかも記憶にないが、「涙」という感情を失ったのではなく、きっと、長い間迷子になっていただけなんだろう。

また、恐怖を感じていたのは、「僕」だけではなかったという安心感で今、「涙」を流している可能性が高い。

 

 君の前で僕は こんな顔してるんだな 止まってた時間(とき)が走り出す

⇒初めて、「僕」が「君」に、見せている表情に気が付き、トラウマにも似た影響によって、止まっていた時・感情が一目散に進み(溢れ)だす。

 

 ああ 君が見つけてくれた時から 僕はもう一度 僕になれたよ

⇒長い時間の中、「僕」は自分自身を見失っていたが、「君」が「僕」を見つけ出してくれたおかげで、「僕」は「僕」と向き合うことができ、「僕」が「僕」である所以たる、本当の「僕」の感情や記憶を取り戻すことが出来た。

 

 

 

 ひとりきりでは気付けないまま こんな景色も 愛されてたこと

⇒こんな僕(景色)も愛されており、その事実にひとりでは決して気が付くことができなかっただろうということで、「僕」を卑下しつつ「君」の偉大さを感じている。

 

僕らの日々は 暗闇がなくちゃ 星が見えなくて

⇒僕らの人生は、辛い暗闇という世界があるからこそ、美しい星をみることができる。明るい人生だけでは、星という美しいものも見えないだろう。なにも、失敗は悪いことばかりではない。

 

 完璧じゃないから 君に出会えた 完璧じゃないから、

⇒筆者の持論として、もし、完璧な人間がこの世にいるのであれば、その人は、1人で生きていくだろうと考えている。一人で魚や肉などの食料を手に入れ、一人で料理を行い、一人で家を建て、一人で金を稼いでいくのだろうと。また、完璧までは及ばなくとも、それなりに「素晴らしい人間」であれば、より早い段階で、他の人と結びつく可能性が高いことも想像に難くないだろう。ただ、「僕」はそんな完璧な人間ではなく、恥ずかしいような汚点もあるが、だからこそ、「君」という素敵な人と、巡り合うまで、残っていたのではないか。

完璧な人間を形に例えると、正方形だとしよう、正方形が二つあっても、うまく嚙み合わず、ずり落ちるのが関の山であり。このことからも、完璧な人間は一人で生きていくものであると筆者は考える。ただし、「僕」は完璧な人間ではない。つまりは、いびつな形をしたものである、ただし、その凸凹が「君」という人間とがっちりと嵌っており2つで1つの強固な図形へと変貌する。なお、この理論で行くと、「君」も完璧な人間ではないことになる。

 

 今 ほんとの声を聴き合えたなら やっと僕らは 夜明けの星座

⇒今、ようやく本音で語り合えたならば、やっと僕らは夜明けの星座のように、ひとつになるだろう。

 

 ただ君がいて ただ僕がいて ここにしかない 意味になってく

⇒「君」と「僕」がただいるだけでも、世界のここにしかない唯一無二の星座のような意味に変わっていく。

 

 君と朝日を迎えにいくよ

⇒「君」と一緒に、この暗闇を抜け、新しい世界(朝日)を迎えに行こう。

 

【終わりに】

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